若年性アルツハイマーと告げられて・・・。

2007年6月、父は57歳で認知症と診断されました。                        このブログは、そんな父と娘の勝手気ままな共同日記です。

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オセロ

娘の日記 2008/04/10 木
先日、父に頼まれて、新しく 『五目並べ』 のブログパーツを設置したのですが

夜に電話が、かかってきて
父 「五目並べ、置いてくれてありがとう。
   でもオセロの方に、白と黒の石が2つずつ付いてるぞ!」


『自分が間違いに気づいたんだ!』 
と、まるで手柄を立てたかのような嬉しそうな口調。

私 「え??? これは最初からやで」
父 「そんなはずないやろ。最初は何も置いてないやろ」
私 「ううん、オセロは最初から黒と白の石が2コずつ置いてあるよ。」
父 「えええええ?」
私 「お父さん、今までも時々、ブログのオセロしてたやろ?その時はどうだった?」
父 「今までも、何も置いてなかったよ。」
私 「オセロは、最初から盤の中央に石が4コ置いてあったと思うけど・・・」
父 「いやぁ?、そんなことない。ゲームを始める時に石を置いてたわ」
私 「ゲーム始める時に石を置くんだったら・・・
   石の置く場所は決まってなくて、例えば、盤の隅っこに石を置いてもええってこと?」
父 「極端に言うたら、そういう事や」
私 「お父さん他のゲームと勘違いしてるんと違う?」
父 「そんなことない。
   おまえが今日、新しく五目並べを置いたときに、オセロの方もヘンにさわってしまって
   それでおかしくなってしまってるんじゃないんか?」


自信がなかった訳ではないけれど、父に言われる内に
自分の考えが不安になってきた私は
私 「ちょっとまってよ」

と父に言い、隣の部屋にいる夫に向かって
私 「オセロって、最初から白黒の石4コ置いてあったっけ?
   それとも盤の上には、何も置いてない状態からスタートだったっけ?」


夫は迷わず
夫 「最初から白黒の石4つ置いてあるよ」

夫の言葉を聞いて安心して
私 「やっぱり、最初から石は置いてるみたいやわ」
と父に言いました。

が、父は納得いかないようで
父 「後で自分で調べてみる」
私 「どうやって調べるん?」
父 「前にオセロ置いてあるブログがあったから、そこを見てみる」


そして電話を切りました。

その後、しばらくしてまた電話があり
父 「やっぱり、最初から置いてあったわ。
   おまえが五目並べを設置する時に、何かヘンにしてしまったとばかり思ってた」



父は、最近になってオセロを覚えた訳ではありません。
ゲームの簡単なルールって、長年、遊んでるうちに自然と覚えてるようなものだけど
なぜか? 父は一瞬それが分からなくなってしまったようです。


今までのような “普段の生活上での事を忘れてた” のではなく
オセロの石の配置場所のような “一般に知っている事を忘れてた” という事に
久しぶりに少しショックを受けました。


そういえば、初めの頃は
『ガスの消し忘れ』 とか 『お客さんの名前が出てこない』 とか
『仕事上でのミス』 とか 『お釣りの計算間違い』 だとか
父や弟から話を聞いて、いちいち動揺したり落ち込んだりしてたのですが。。。
こういうのも慣れなのか!? 最近は、以前ほど気にすることはなくなってました。

だけど、きっとこれからも、何か変わった出来事が起こったり、新たな症状が出たりしたら
その度に、動揺したり落ち込んだりするんだろうなー。
でもまぁ、何とも思わない様になるよりマシだけど。


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弟夫婦

娘の日記 2008/04/07 月
弟は父の仕事を継ぐと決めて、約3年前から、お店を手伝うようになりました。
そして、2年半前から、弟夫婦は父と同居しています。

うちの家は自営業なので、父は今も仕事を続けられていますが
もし仮に、弟が父の仕事を継いでいなかったら
父1人でお店を経営していくことは、そろそろ難しい時期なのかなと思います。

最近の父をみていると
仕事や日常生活で、時に応じて手助けが必要になってきたなと感じることがあります。

仕事のスピードは遅くなり、ミスもだいぶ増えてきました。
これは、父本人も自覚しています。
1人で店番をするのが不安で、『お客さんが来なければいいのに』 と思ったり
応対するお客さんの寄り好みもみられます。
(難しい話をする人や早口で喋る人などは苦手)

でも弟が、一緒だから
不安を感じながらも、仕事を続けられているんだと思います。
そして毎日、お店に出てきて仕事をしているから
病気の進行も穏やか(?)なのかな?と思います。

義妹にしても
結婚後、21歳の時から、父との同居を嫌がらず、一緒に暮らしてくれています。
食事の用意や洗濯など、生活面で父をサポートしてくれています。
父の病気のことも、よく理解してくれています。

そう考えると、父の仕事を継いで一緒に暮らしてくれている弟や義妹には感謝デス。


(これは私が勝手に思ってることなのですが)
最近の父は、弟に対して 『○○してやっている意識』 が強いように思えます。
これでは、さすがに弟がカワイソウだと思った私は、父に

私 「Y(弟)が仕事を継いでくれて一緒にお店してくれてるから
   お父さんも不安がありながらでも、仕事続けておれるんやろうな?
   そう考えたら、Yにも感謝せないかんな?」

と言うと

父 「お父さんが今も自分で仕事できてるおかげで
   Y達に対しても大きい顔しておれるんや。
   仕事できなかったら、Y達に世話にならないかんから小さい顔しておらないかん」


お互い言いたい事が違う為、いつまでたっても話が平行線で会話にならず・・・。

私 「お父さんの言いたい事も分かるけど・・・、もっと違う方向からも考えてみてよ」
父 「違う方向から考えるんやったら、今頃は皆、仕事がなくて探している時代やのに
   Yはお父さんがお店してるおかげで、職につけてるんやから
   Yの方こそ、お父さんに感謝せないかんのちがうんか?」


よくそんな事を思いつくなぁ?ってくらいの言葉を返されて、唖然としました。

第一・・・父は、弟達の世話になったとしても
決して、小さい顔をしていれるタイプの人間ではありません。(汗)

私は、父と同じ家で一緒に生活していないので
父と口ケンカになる事も、我慢してストレスをためる事も
弟に比べると、まだ少ないのかもしれない・・・。
だけど仕事でも家庭でも、父と同じ屋根の下で生活している弟は
私には分からない思いも、きっとあるんだろうな。


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病気の第一発見者は父本人

娘の日記 2008/03/30 日
父は今 『物忘れがひどいのは、病気のせいだから仕方ない』 と
割り切って前向きに生活していますが
そんな父も、物忘れの症状を、気にしていた時期がありました。

今から4年くらい前 (父が肺ガンで手術した後) のことです。
当時の会話を父は、覚えていないらしいのですが
私は父の言葉が気になったので、よく覚えています。


ある日、父が電話で
「お父さん最近、ボケてきてるんや」 
と少し気弱そうに言ってきました。

どうして、そう思うのか理由を尋ねると
「最近、物忘れがひどい。
 Y(弟)との口喧嘩の時、Yは言ったっていうけど、お父さんは言った覚えが全くない。
 話の内容が思い出せない。
 今回が初めてではなく、こんな事がよくある」

という内容の事を言いました。

私は
「誰でもケンカして頭に血がのぼったら、話の内容覚えてない事もあるよ」
と言って、その場は話を終わらせました。

後で、弟に父との喧嘩の話を聞くと
「確かにお父さんが言った言葉なのに。
 お父さんは、自分の都合悪くなると 『言ってない』 って、とぼけたふりして卑怯や!
 前はこんなんじゃなかったのに性格が変わった。
 ガンの手術してから甘えが出たんや」

という内容の事を言っていました。


父も弟も、真剣な様子で
私には、2人共ウソをついているようには思えませんでした。

この頃から、父と弟の口喧嘩が増えてきて
私はよく2人の喧嘩の仲裁に入るようになっていました。

『言った、言わない』 で、父とよく口論になっていた弟は
「お父さんの頭か自分の頭か、どっちかの頭がおかしいんや!」 
と何度か、私に言ってきました。


そしてその後・・・ 1ヶ月くらい経って、父が再び
「お父さん、もうボケてきてるんや」 と言ってきました。

その時、私は軽々しくボケたと口にする父に腹が立ち
「お父さんボケてないのに、そんな軽々しくボケたって言ったらダメや!
 自分でそんな風に思い込んだらダメや」
 
と怒りました。

すると、父も
 「そうやな。ボケてないのに、自分で思い込んだらダメやな」 
と自分に言い聞かせるように答えて
それ以来 “ボケてきた” と言う事はなくなりました。


どこで見たか忘れましたが
この病気の本当の第一発見者は、患者本人だと書かれた文章を読んだことがあります。

本当にその通りなんだ・・・と思いました。

あの頃、父は自分で 『物忘れがひどいな、何かおかしいな?』 と気づいて
私に素直に伝えてきたんだと思います。

私は、父がアルツハイマー病だと診断されてから
なぜあの時に気づいてあげれなかったんだと、後悔していました。

だけどある時、父の先生にその話をすると
「もし、その時に気づいて受診されていても
 アルツハイマー病だと診断されていない可能性が高いです」

と言われました。
先生は、半分気休めで言ってくれたのかもしれないけど、その言葉で少し楽になりました。


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若年認知症の番組をみて

娘の日記 2008/03/25 火
ある日突然…家族が認知症になった ?密着365日!若年性アルツハイマーと闘う?

この番組がきっかけとなり、また私は父に色々と質問してしまいました。

私 「いつか親しい人や子供の事、忘れてしまうのってどう思う?」
父 「病気のせいなんやし仕方ないって思ってるよ」


私 「忘れたくないとかって思わんの?」
父 「病気のせいなんやし。それに忘れてしまった時は、もう自分は分からんしな」

私 「例えば、お父さんが忘れてしまったら子供が悲しむだろうなとか思わんの?」
父 「どう悲しむんや?」
私 「そうやな?・・。お父さんから “あんた誰だったっけ?” て言われたら辛いかなとか」
父 「だいたい、そこまで考えんから分からんわ。
   今、おまえが聞いてくるから答えてるけど、何も聞かれんかったらそんな事
   いちいち考える事もない。早い話が、お父さんはクヨクヨしてないんや。
   人によっては、忘れてしまうんかな忘れたくないなって思う人もおるのかもしれんけど
   お父さんは、人がどう思うかなとかって思わんもん」

私 「じゃあ、こんな風に色々聞かれるんは迷惑?」
父 「いや別に。考えてない事は考えてないって答えるだけで
   聞かれた事について、後から考えてみたりする事もないから、それは何とも思わん」


私が思っている程も、父は物事を深く考えていない感じ。
物忘れがひどくなったとか、今まで出来てた事が出来なくなったとか
そんな症状を自覚しながらも 『病気のせいなんだから仕方ない』 と
割り切って生活していけてるのは、この病気の良さ?なのかもしれないと思いました。


番組放送後に

父 「新しい薬ってどんな薬や?」
私 「病気の進行を止める薬や」
父 「それが5年以内かぁ?。お父さんは3年以内にでると予想したけど?」
私 「そうやなー。新薬ができたらお父さん外国から取り寄せてでも飲むやろ?」
父 「うん飲む!」


そんな会話で盛り上がっていて
私 「“もしも” の話なんやけど、多分こんな事ないから心配ないけど
   先の事は何があるか分からんから、一応聞いておくけど
   新しい薬が出来た時に、もしお父さんが寝たきりに近い状態になってても
   お薬飲みたい?」
父 「その時はもう、薬飲まずにそのまま進行していって自然と死んだ方がええわ」
私 「そうなんや?」
父 「そこで進行が止まって長生きしたって、周りに迷惑かけるし。
   今日の番組でもやってたけど、自分で何も出来なくなってしまって
   何もかも誰かにしてもらうようになると、家族は大変そうだったやん」



最近、父は 「考えても思い浮かばん」 とよく言います。
自分からアレコレ深く考えたり想像したりする事がニガテになってきたのかもしれないけど
何か分かりやすいきっかけ (テレビの映像など) があると
思った事を色々と喋ります。(元々よく喋るタイプです 笑)
この時も、1時間くらい電話で話をしました。
父の口から、周りに迷惑かけるという言葉が出てきた事には、驚いたけど嬉しかったです。

私 「そうやな、大変やと思うわ。
   ちなみに、どれくらいの状態になると薬は飲ませないでほしいん?」
父 「歩けん状態やな。食事、風呂、トイレが1人で、できんようになったらやな。
   この内の全部ができんようになったらやぞ。
   例えば、トイレは1人でできんけど、食事は1人で食べれたら話は別や」
私 「分かったわ。その言葉よく覚えておくし、またY(弟)にも言っておくわ。
   お父さんも、こんな先の事とかを、もし書く気があるなら紙にでも書いておいてよ?」
父 「あぁ?、そうやなぁ?。
   あそこのおやっさん 『薬飲みたい飲ませてくれ』 って、みんなに言ってたのに
   娘は飲まさんかったって言われても困るやろしな(笑)」
私 「ほんまやわ!(笑) その時に 『父が飲まさんといてって言ってたんです』
   って言っても、みんな信じてくれんやろ!(笑)」
父 「そらそうや(笑)」


あと数年・・・新薬ができるまで、なんとかあまり進行せずにいてほしい。


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とっさに行動できない

娘の日記 2008/03/23 日
父の通っている病院では、診察券を受付機に入れて受付の手続きをします。

先日の病院の時、2人で話をしながら受付の手続きをしたので
父はうっかり診察券を取り忘れ、私も気づきませんでした。
そして、診察券がない事に気づかないまま、精神科の受付に行き
(各科の受付でも診察券が必要になるので) 
そこで、やっと診察券がないことに気づきました。

父 「診察券がない」
上着のポケットやらバックの中やらゴソゴソと探しはじめました。

私 「え?どこにもないん?」
父 「うん、ない」
私 「受付の機械から取り忘れたんかな」
父 「先に行って見てくれ」

と言ったまま、父はバックの中を探していて、なかなか動こうとしません。
仕方なく、私は1人で先に歩き始めると、少し間があいて父も後ろからきました。

受付機の前まで戻り
父 「ないか?」
私 「ないな」
父 「あああ・・・ないなぁ・・・」

そう言って、父は受付機を見たまま立ち尽くしていました。

父がどんな行動をとるのか、一呼吸おきながら少し様子を見ていましたが
何も言い出さないし、動き出す様子もなかったので
私はカウンターの方に行き、窓口の人に診察券を紛失したことを伝えました。

紛失した診察券の持ち主の名前と生年月日を聞かれたので
後ろを振り向きましたが、父は私の側にはいません。
いったいどこにいるんだろう?と、父の姿を探すと
遠く離れた所で・・・こちらをチラチラ見ながら、ウロウロと歩いていました。

診察券は、どこかの親切な方が届けてくれてたようで見つかりました。

以前と違うところ・・・
元々の父は、とっさの判断力が優れていて
人よりも先に、テキパキと素早く行動する人でした。
そんな父からみると、私はのんびりしていて頼りない存在なので
よく父に 「もっとパッパッと行動せなダメや」 と叱られていました。

だけどこの時の父は、
私に全てを任せるかのように、後ろに回ってゆっくりと歩いていました。


その後・・・ 精神科のほうに戻りながら (怒った口調ではなかったけれど)
父 「おまえは付き添いなんやから
   お父さんが診察券取り忘れてたら、ちゃんと見ててくれないかんわ」


(自分が取り忘れるのは仕方ない。見てなかったおまえのミスや。とでも言いたいのか?)

私 「そんな・・・ずっとも見ておれんよ」
父 「ところどころ、大事な所を見てたらええんや」
私 「誰だったって、こんなうっかりミスはあるよ
   でも何かが起きた時、きちんと対処できたら、それでええやん」


なぜ単純に 『診察券が見つかって良かった』 とならないんだろう。

この病気になって父はやたら、人のせいにすることが増えました。
それは、自己防衛の表れなのかもしれないけど。

だけどそのせいで、私や弟はミスしたらどうしよう・・とドキドキビクビクするようになり
最近は、父に怒鳴られると動悸が激しくなります。
本音を吐くと、私も弟も責める気はないんだから、お父さんも責めないでほしい。


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